日本文学概論 第十五回 日本文学の本

十五、日本文学の本質
徒然草 第十三段 に中国の文学が出で来る。
「文選」  中国最古のアンソロジー 百三十人の詩や文章を編集した。
白氏文集  白居易漢詩/を集めた書物。
老子・荘氏
和漢朗詠集という書物名は出てこないが、これを踏まえた表現が多く出でくる
ことから兼好の愛読書のひとつであったと推察される。
唐詩選の流行
 明代の纏められたアンソロジー
 主に「杜甫」、「李白」の漢詩を集めている。
日本で校訂した和刻本「唐詩選」(1724)出版 。
 大田南畝唐詩選国字解」(1764) 注釈書が出版。
  仮名文による和訳がついている。
 柴田天馬「和訳聊斉志異」(りょうさいしい)
清の次代に蒲末齢(ほしょうれい)が書いた怪奇小説集。
振り仮名を利用してできるだけ意訳した話を三十四話抄訳した。
吉田健一が高く評価している。
 ここにも文学の蓄積と浸透そして新たな文学の創造というセオリーが
 ある。
二、西欧文学の移入と浸透
海潮音」の影響。 詩人。白秋、三木露風、薄田泣童、日夏耿之介の詩集を
生み出す。
「表象派の文学運動」 アーサー・シモンズ著 岩野泡鳴訳。
 ヴァレリーマルメラの受容
 ヴァレリー 小林秀雄河上徹太郎という批評家に影響した
マルメラ 俳句、短歌に影響した。
マルメラ全集 2010年出版。筑摩書房
三、日本文学の本質
相互補完性の偏在
 同時代の個性的な文学者の出現
  清少納言紫式部、頓阿と兼好、森鴎外夏目漱石
  永井荷風谷崎潤一郎
和歌と物語の通底は「恋愛」 源氏物語には八百首の和歌。
 しかし徒然草枕草子などの散文には和歌はほとんど無い。
「和歌的な散文と、和歌的でない散文」のふたつが存在する。
  文学に何を求めてきたか 
中世の歌人 「源氏物語」と「白氏文集」に集約されていた。
人々が文学に求めてきたものは「時節の景気」、「節序の風景」、「花鳥風月」
といった言葉に現れている季節感や自然観と一体となった人間社会の真実。

読者に託された文学の未来
日本文学に見られる「蓄積」、「集約的抽出」、という特徴が、真に機能してきたか
どうかを測るために「浸透」という現象こそが重要である。

文学が時空を超えて存在してきたことは ひとえに「浸透」を受け入れた読者の存在によって支えられている。
 そういう意味では今を生きる読者たちに託されているのである。

                                 完

日本の古典 古代編 第十五回 王朝の光と闇 大鏡と今昔物語

十五、王朝の光と闇  大鏡と今昔物語
 一、院政期の意味
摂関体制の弱体とともに院政が始まる。
王朝の最盛期への憧憬と伝統的なものへの回顧の意識が生じる。
二、大鏡 紀伝体の歴史
 藤原道長の栄華を描いた歴史物語
参考 「栄花物語」 道長の権勢につくまでの過程と栄花の実態を描く
もののけや怨霊の跳躍などがリアル、登場人物の心理描写が多い。
大鏡  藤原北家の権力争奪の歴史。850年〜1025年、176年間の歴史。
紀伝体 序、本紀 (天皇の一代記),列伝(折衝、大臣等)、
人物に焦点を当てた記述。中国の「史記」に倣う。
三人の語り手による戯曲形式だが、大部分は一人語り。
 190歳 大宅世継、180歳 夏山繁木、若侍。
例、敦明親王の退位をめぐる裏話。
 大鏡の歴史意識
   摂関体制の確立の道筋、道長と伊周との競射の場面。
道長が摂関体制の頂点を極める必然性を示す。
三、今昔物語の世界
  千余りの説話を収録した三十一巻にも及ぶ説話集。インド、中国、日本を舞台
とした日本最大の説話集。
特徴
・組織性 仏教の三国にわたる仏法史の整然たる展開。
 世俗部では藤原氏、武士側の歴史を皇室中心に統括しようとする意図がある。
 武士階級の歴史は、第二十五巻 兵(つわもの)譚 に収録
  武士の存在が無視できない現状を著わしている。
・非王朝の世界の取り込み
  二十七巻 霊鬼・怪奇譚、二十九巻 悪行譚(強盗、殺人、窃盗、強姦)
反秩序的世界を取り込みリアリティのある説話となって文学上も評価。
 芥川龍之介は 「野生の美」と評価。
 「偸盗」若く美しい女盗賊が笞で男を打つマゾひずむの世界。
王朝人が武をの異端者とみる意識の例 
 「源頼信朝臣の男頼義、馬盗人を射殺す語」
「左衞門尉平致経、明尊僧正を送る語」 など。
以上

                     

日本文学概論 第一回 文学はどうとらえられてきたか

一、日本文学をどう捉えるか 一、文学はどう捉えられてきたか
日本国見在書目録」 891 藤原佐世 中国書物の一万七千巻の目録
 「経」儒学の経典 、「史」政治経済制度等、「子」諸子百家のうち経に入らな  いもの、「集」詩と文 に分類した。
「本朝書籍目録」 鎌倉時代 和書目録
「卿雲輪囷付録」 1835江戸時代  渋谷抽斎 漢籍目録
                  森鴎外の小説あり (詠むこと) 
和書の叢書
「扶桑捨葉集」  水戸光圀編纂 1693
   「群書類従」   塙保己一 1819 1300点の文献を出版
 二、文学史と文学論
本居宣長 「歌詞展開表」草稿
 歌の系譜 万葉-−古今−−千載−−新古今−−以下−新続古今−→
| |
今様  連歌
|-----------------|  繋がっている。
詞の系譜   祝詞−古物語−伊勢・源氏 −−平家物語 

文学概論 小史
 「文学概論」 島村抱月 早稲田大学の講義録
「文学評論」 夏目漱石 東大の講義録     いずれも西洋文学論
文学評論書
 昭和二十年代後半〜三十年前半 相次いで出版された
「文学入門」桑原武雄、  「日本の文学」ドナルド・キーン
「文学概論」吉田健一、 
三、日本文学の三つの推進力
 ・蓄積 外部世界の文化や文学の移入、出版と本の所有、
 ・集約的抽出 選集(アンソロジー)、叢書。 古今和歌集和漢朗詠集など
源氏物語徒然草
・浸透 読者への浸透

今後は、この三つの要素に着目しながらこのサイクルがどのように文学を
発展させてきたかを形態と時代順を複合しながら考察する。
以上

日本文学概論 第二回 紀貫之 文化基板としての和歌と散文

二、紀貫之 文化基板としての和歌と散文 一二、紀貫之とその時代
醍醐天皇の御世
 紀貫之 868〜945  
日本初の勅撰和歌集古今和歌集」の編者。 905年成立 
  二、歌人としての紀貫之
     古今和歌集 の編集者であり和歌の作者、
     仮名序 、1〜6j巻 四季歌 春上、春下、夏、秋上、秋下、冬
         賛歌、離別歌、羈旅歌、物名
         11〜15巻 恋歌
         哀傷歌、雑歌上下、雑体、大歌所御歌 合計 二十巻 
         和歌は千百首  暗唱できる撰歌集
三、二つの仮名序
     古今和歌集の仮名序 万葉集以来の和歌の歴史が系統立てて書いてある。
         六人の歌人 僧正遍昭在原業平、文屋康英、貴賤法師、小野小町、               大伴黒主
本文の最初の部分
 やまと歌は人の心を種としてよろづの言の葉とぞなれりける
       世の中にある人事 業しげきものなれば
       心に思ふことを見るもの聞くものにつけて言ひいだせるなり
       花に鳴くうぐひす 水に住むかはづの声を聞けば
       生きとし生けるもの いづれか歌をよまざりける
       力をも入れずして天地を動かし 目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ
       男女のなかをもやはらげ 猛きもののふの心をもなぐさむるは歌なり
大堰川行幸和歌の序文」
 醍醐天皇の延喜七年(九〇七)九月十日、宇多法皇大堰川に御行の時
随行紀貫之凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)ら六人の歌人
 勅題に応じて九首ずつ(躬恒だけ一八首)の和歌を詠進したものに、
  貫之が書いた約五百字の仮名の序文が付いていて現存するのは序文のみ
       
     四、多面的な文学者
       土佐日記の画期性
        平安期や中世の和文作品への影響は少ない。
        イベントを書いたものとすると「紫式部日記」に近い。
   散文で、直接自分のことを書く」という大枠を作ったという意義
和歌も交えている旅日記というスタイルを確立した。
土佐日記の残響
 芭蕉の「笈の小文」 紀貫之をまっさきにあげている。
 北村季吟 俳諧書 「増山井」季語の出典の引用に使われた
注釈書「土佐日記抄」を著わす。
散文を書くという行為そのものへの自覚的意識を確立した。
新撰和歌集」 三百六十首、内 二百八十首を古今和歌集から採択
真名序も書いた。
和文と漢文、そして和歌にも通じたオールラウンドな表現者であった。
以上

日本文学概論 第三回 三、藤原公任 傑出したアンソロジスト

三、藤原公任 傑出したアンソロジスト
  一、公任の略歴と著作
 父は藤原頼道、四条大納言、道長全盛で官位滞った
一条天皇に仕えた。
  著書 「和漢朗詠集」  上下二巻からなる選集
  上巻 四季順に漢詩と和歌を並べて配置した。
   漢詩白居易が六割、
   文学を志す人は「和漢朗詠集」の名句、名歌を暗記した。
  影響 「感詠一貫」 佐藤元長 著 
森鴎外が漢学を学んだ
二、公任の歌論書
新撰髄脳」 
 和歌の構造と形式、すぐれた和歌は「心と姿」
 簡潔・明晰で論理性のある文章。
 少しの字余は許容されること、「心深く姿清げに」が歌の理想。

三、有職故実の書として「北山抄」を纏めている。
                         以上
  

日本文学概論 第五回 藤原定家 本歌取り文化圏の成立

五、藤原定家 本歌取り文化圏の成立 文学史上最高の批評家
一、業績
 歌人 「新古今和歌集」の選者、「新勅撰和歌集」の単独選者
自選集「拾遺愚草」
歌学者 「近代秀歌」、「詠歌之大概」、「毎月抄」 有心体
物語作者 「松浦宮物語」 万葉集の風情があると「無名草子」に批評される
    「無名草子」を詠むこと。
日本文学を窯変させた。
 源氏物語の本文校訂 「青表紙本」
 小倉百人一首 
二、本歌取り文化圏の成立
過去の歌の世界を何層も重ねる。
 例
 "大空は梅の匂ひに霞みつつ 曇りも果てぬ春の夜の月
  ?大江千里の歌
  「照りもせず曇りも果てぬ春の夜の 朧月夜に如くものぞなき」
 ?漢詩「明らかならず暗からず朧たる月」
?源氏物語 花宴巻 朧月夜の君が千里の歌を口ずさむ
        四層の文学空間を構成している。 
本歌取りという新システムが広く普及できて和歌の存在感を増した。
 夢の浮橋の歌 新古今和歌集 にも入る。
 "春の夜の夢の浮橋途絶えして 峰に別るる横雲の空" 定家
三、小倉百人一首の文化的意義
 暗唱に適し、初心者たちの手本となる歌を一人一首百首集めたところ。
  定家の後継者
   正徹 「正徹物語」 三島由紀夫短編「世々に残さん」
 

日本文学概論 第六回 兼好と頓阿 散文と和歌の再構築

六、兼好と頓阿 散文と和歌の再構築
 一、文学再構築
定家 文学のシステムを作った 本歌取り小倉百人一首
頓阿 このシステムを補強・修正しながら「誰でも詠める和歌の詠み方」を創案   した。
兼好 「誰でも書ける散文の書き方」を創出した。

二、兼好の散文
徒然草の画期性 
? さまざまな話題や内容を転換しながら短いサイクルで書き連ねる文学形態を確  立した。
? 書かれている内容に応じて文体も漢文調,和文など多様である.。
? 真摯なもの、ユーモラスなもの、哀感に満ちたものなど表現の幅が大きい。
 後世の人は簡潔でわかりやすい文章を書く方法を手に入れた。
例 佐藤直方 江戸時代前期
「しののめ」 徒然草の抜き書き。 
  人間の心を問題として章を中心に抜粋
脇蘭室 江戸時代後期
「歳蘭漫語」の「見し世の人の記」 

三、歌人・歌学者としての頓阿
 頓阿 俗名 二階堂貞宗  武士の出身
  二条為世を師匠として和歌を学ぶ。
  二条派が断絶したあと、頓阿の子孫が古今の伝統を受け継ぐ。
   頓阿----経賢-----堯尋------堯行 家系は和歌の家柄となる。
  頓阿の歌学
   歌論書 「井蛙抄」、「愚問賢注」
   和歌集 「草庵集」「続草庵集」
    山里は訪はれし庭も跡絶えて 散り敷く花に春風ぞ吹く
    秋の夜は誰待ち恋ひて 大伴の御津の泊りに衣擣つらん
朽ち残る蘆間の小舟いつまでか 障るに託つ契りなりなん
今は世に亡しとも聞かば思い知れ これを限りに恨みけりとは
思へただ常なき風に誘われし 嘆きの下は言の葉も無し

草庵集の影響力
本居宣長 「草庵集玉箒」注釈書
「草庵和歌集類題」 類型性が必要だった。
近代和歌の自分の心情を詠むという流れでは忘れられた存在と
なっていった。

兼好と頓阿は、相互補完的存在として位置づけられる。
そして散文と和歌の普遍化が近世になって浸透して日本文学を
豊かで開かれたものにした。
以上