日本文学概論 第五回 藤原定家 本歌取り文化圏の成立

五、藤原定家 本歌取り文化圏の成立 文学史上最高の批評家
一、業績
 歌人 「新古今和歌集」の選者、「新勅撰和歌集」の単独選者
自選集「拾遺愚草」
歌学者 「近代秀歌」、「詠歌之大概」、「毎月抄」 有心体
物語作者 「松浦宮物語」 万葉集の風情があると「無名草子」に批評される
    「無名草子」を詠むこと。
日本文学を窯変させた。
 源氏物語の本文校訂 「青表紙本」
 小倉百人一首 
二、本歌取り文化圏の成立
過去の歌の世界を何層も重ねる。
 例
 "大空は梅の匂ひに霞みつつ 曇りも果てぬ春の夜の月
  ①大江千里の歌
  「照りもせず曇りも果てぬ春の夜の 朧月夜に如くものぞなき」
 ②漢詩「明らかならず暗からず朧たる月」
源氏物語 花宴巻 朧月夜の君が千里の歌を口ずさむ
        四層の文学空間を構成している。 
本歌取りという新システムが広く普及できて和歌の存在感を増した。
 夢の浮橋の歌 新古今和歌集 にも入る。
 "春の夜の夢の浮橋途絶えして 峰に別るる横雲の空" 定家
三、小倉百人一首の文化的意義
 暗唱に適し、初心者たちの手本となる歌を一人一首百首集めたところ。
  定家の後継者
   正徹 「正徹物語」 三島由紀夫短編「世々に残さん」