日本文学概論 第十三回 高浜虚子 近代俳句の確立

十三、高浜虚子 近代俳句の確立
 一、高浜虚子について
1874年 松山市生まれ 松山出身の俳人種田山頭火正岡子規など
 「ホトトギス」を創刊。 俳句以外に写生文や小説も掲載
掲載された小説 「我が輩は猫である」、「坊っちゃん」、「野菊の墓」など
 写生文とは 客観的な写生の方法で、人情を超えた俳句的な趣味を描こう
 とした。
  子規が提唱し、虚子が完成させた。 代表作「鶏頭」
  散文だけで寸分を超えた文章世界を作ろうとした。
 子規 弟子 伊東左千夫---斉藤茂吉、島木赤彦 歌誌「アララギ
二、虚子の文学観
  「虚子俳話」 朝日新聞に連載された俳話
虚子の俳句観・俳句論が書かれている。新聞連載ということで大変
わかりやすい文体で書かれている、多彩な観点から俳句を論じる。
虚子の理念
 「花鳥諷詠」 自然だけでなく人間社会における出来事を無心に
客観的に詠む
 「有季定型」 俳句には季語と音律が必要という主張
 「新歳時記」を出版した。これは太陽暦に変ったため以降も俳人
  愛用された。
 歳記の変遷
  北村季吟 「増山井」」
曲亭馬琴 「俳諧歳時記」
藍亭青藍 (らんていせいらん) 「俳諧歳時記栞草」
福羽美静 (ふくは よししず) {歌題歳時表」太陰暦太陽暦の対比 
中谷無涯 「新修歳時記」

 虚子は「吟行」という俳句会を始めた。
「歌枕探訪」という文学伝統と遠く結びついている。
三、近代俳句の展開力
ははきぎに影というみのありにけり --- 源氏物語 の影響
大いなるものが過ぎゆく野分かな   芭蕉
        虹立ちて忽ち君の在る如し  弟子 森田愛子に贈った句。
海外での俳句の紹介
 チェウバレン 英訳、ディヴレー 仏語
   短さ故と韻をふんでいないことで評価は低かった
クシュー 仏人 三行表記の小さな絵画として紹介し評価を高めた
虚子はパリで俳句について講演したが季語が必要であるという理解は
聴衆には得がたかった。
以上