舞台芸術への招待第1回 舞台芸術の魅力 ビデオ要約

講義ビデオの要約です。
第1回 舞台芸術の魅力-その原理的・歴史的根源-」
  演出家 蜷川幸雄さんへの1992年のインタビュー
Q .戯曲には何も変更や付け加えをしない理由はなぜか
A. 言葉で生きていない。作家は言葉で選んで書いている。俳優は言葉を選べない。制約のなかで
演技や肉体による表現で観客に伝えようとしている。
Q. シェイクスピアの舞台を能などの日本的なものに置き換えているがその理由は
A. 翻訳した言葉ででは伝わらない。例えば<ゼウス><ロミオとジュリエット>の言葉は
通じない、よって言葉は変えないけど、日本の神に置き換えた表現をした。お客さんの記憶に
合わせた舞台にしている。
翻訳した言葉や舞台にしてもそこに含まれる感情などの普遍性は残る。
現代で忘れさられていことが古代の物語で再現される。 基本的なことが伝わっている。

Q.練習がきびしいときいているが何故か
A. 神への呼びかけの例で、はるか彼方にいる神への呼びかけとなっていない事では何回も
やり直しをした。日常では使わない表現を感情で悲劇を作り上げられないかとして、自分を
追い込んでいくこともある。

A. 一つメソッドに囚われないで、沢山の劇を、世界を手に入れたい。優れたものに出会いたい
という謙虚さを持って芝居を作り上げたい。
Q.広場の役割について
A. オイデイプス王の芝居の時にアテネの広場に行った。その結果、誰かが見ているという
設定をだすために、舞台に観客席を作った。ヒーローと支える観客を作り舞台とした。
文学を演劇で乗り越えたい。

2011年のインタビュー

Q. 昨今の世界の変化、社会の閉塞感、格差社会といわれている中で演劇の立場の変化についてどう
感じているか。
A. 閉塞感、希望の持てない時代はない。初めて出会う出来事が多い。インターネットの普及や
パーソナルなつながりが20年前と大きく違って来ている。
実演の同時性と普遍的なものの追求との間でのたうっている。
ギリシャ悲劇を3カ国の俳優達と現代の問題として取り上げる演劇を作ろうとゆうことで
ワークショップをやった初日にユダヤ人とパレスチナ人の間で激論となった。
世界の課題と離れている日本の村的なものとの格差に驚いた。
若者達が他人に興味を持たない事が原因の一つ。生ましい出会いを避ける。直接言わない。
新しさもあるのでそれを取り入れていくのが難しい。
メールなどの間接的な表現になれている若者達に演劇をしてもらうのは大変です。

Q. 外国の俳優との違いはなにか

A. 外国の俳優は徹底的にリアリズムを叩き込まれている。何故、がない。基礎的な再現ができない。
リアルにやらない。演劇の稽古場が教育の場になっている。
また、個的な世界にいる人達をどう取り込んでいき、演劇としておもしろさを感じてもらうかに
取り込んでゆこうと思う。時代の必然性をいれた演劇をやりたい。同時性の取り込み。
村上春樹の本を演劇にしたい。すると今の問題がすべて取り込まれ反映できると思っている。

縦軸としての歴史と現代をクロスした演劇の作りたいとやってきた。

Q.野外劇場と普通の劇場との違いについて。
A 野外は風、光、空気など自然の時間が感じられる。閉じられた空間ばかりでやると疲弊してしまう。
声が響かない野外での発声は新鮮であるが喉も痛める。パルテノン神殿の下の野外劇場でやって
見たい。

Q. 言葉がわからなくても感動する部分と、言葉が伝える概念とどちらが関心があるか。

A. 私のほうが表現が強い 。字幕による理解もある。 どちらもある。

リアリズムの追求では限界があることも、様式美で表現するとよくわかることもある。

以上。