和歌の心と情景-15

15.近代短歌の世界
正岡子規 「歌詠みに与ふる書」
     カンチョウロウカカイ
 森鴎外 観潮桜歌会 明治40年
     アララギ派 伊藤左千夫 斉藤茂吉 古泉千樫
     明星派 与謝野鉄幹 北原白秋 吉井勇 石川啄木 木下杢太郎 
心の花系 佐々木信綱
1.与謝野鉄幹 ロマン主義
   明星派の特徴
    ?歌人が、詩人でもあった
    ?文学と美術の融合を試みた。
    ?日本の古典と、西欧の現代芸術を接合させた。
  年譜
  1873年 京都で誕生 本名 寛
  1896年 東西南北 刊行
  1900年 明星を創刊
  1901年 昌子と結婚
  1935年昭和10年 死去 享年63才
  
 野田宇太郎文学資料館 福岡県小郡市
  野田宇太郎の文学的業績
    詩人、文学散歩、編集者 文芸、新風土など
     三島由紀夫幸田文などを発掘
  明治文学館(明治村のなか)
  与謝野鉄幹の歌
 「人を恋ふる歌」
 "人をやらわん 業平が 小野の山ざと 雪をわけ 夢かと泣きて 
歯がみせし むかしを慕ふ "
伊勢物語本歌取り
     "忘れては夢かとぞ思う思いきや 雪踏み分けて君を見むとは"
2.与謝野晶子
  1878年 大阪市堺市で誕生
  1901年 鉄幹と結婚「みだれ紙」創刊
  1912〜1913年 新訳源氏物語 刊行 抄訳
 1938〜1939年 新新訳源氏物語」刊行
1942 死去

 晶子の業績 新訳源氏物語森鴎外が評価している。
 砂浜は見るまにあかくなりにけりぞゆく
  来てはひろぐる籠のてん草のため

 藻のつきし小岩つたえば船むし
とふ
生きし
    小蟹ちりぼふあわただしげに
              くも
     
  と、森鴎外の妹小金井喜美子の歌を添削した。

 作品 第1歌集「みだれ髪」初版本 鳳昌子(誤植)
第2「小扇」 霧島武次のデザイン
再版には タイトルの意味を補足するために歌が添えられた
  "われわかうて ちさき扇のつまかげにかくれて観たる恋のあめつち"
   第3歌集「恋ごろも」詩もはいっている。
      “君死にたもうことなかれ・・・」が収録されている。装丁は中沢弘光
  第3歌集「春泥集」
    源氏を詠んだ歌
   "わがよはひ盛りになれど いまだかの源氏の君のとひまさぬかな"
   "ああ皐月仏蘭西の野は火の色す 君もコクリコわれもコクリコ"
    先にフランスに行った鉄幹にやっと会えた喜びを歌った歌。
     伊勢物語 第12段の本歌取り
  業平が、人妻をさらって東国逃げた時の歌
"武蔵野は今日はな焼きそ若草のつまもこもれりわれもこもれり"
3北原白秋
  1885年 柳川市に誕生 本名は隆吉
  1907年 鉄幹、吉井勇、杢太郎、平野万里と5人で天草・長崎を旅行 (五足の靴)
  1909年 詩集「邪宗門」刊行
  1913年 歌集「桐の花」刊行
  1942年 死去
童謡も書いた。「赤い鳥」など
 第1詩集 「邪宗門」、2-「思い出」、3-第2歌集 4-「雲母集」、5-「雀の卵」、
6-「風隠集」、「夢殿」、「つるばみ」、「黒檜」
  最終没後「牡丹の木」
  "秋の蚊の耳もとちかくつぶやくにまたとりいでてかやを吊らしむ
百人一首の中 小野篁の歌
   "わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと人には告げよ海人の釣舟"
 北原白秋
  "漕ぎつれていそぐ釣舟二方に濡れて消えゆくあまの釣舟"
  人妻との恋に破れてさまよう気持ちを流されてゆく罪人になぞらえている。 
  古典和歌を近現代人が本歌取りするお手本がある。
4.斉藤茂吉  
アララギ派を出発点としている
 1882 山形県上山で誕生 本姓は守谷
 1905 斉藤家に養子入籍
 1909 観潮桜歌会に参加
 1913 31才 赤光 刊行
 1953 死去
芥川の主治医としてノイローゼを治療。
 実相観入 理論を提唱
     自然と自己が一体となった世界の根底を短歌に写し取る。
   第2歌集 「あらたま」
   "あかあかと一本の道とほりたまきはる我が命なりけり"
第3歌集 「つゆじも」
第4,「遠遊」 第5 「遍歴」 ヨーロッパ留学中の歌。
   柿本人麿の研究書を表す。
    人麿
    "ほのぼのと明石の浦の朝霧に 島隠れゆく舟をしぞ思う"
本歌取り
    "ほのぼのと おのれ光りてながれたる 蛍を殺すわが道くらし"
4.おわりに

 近代短歌は古典和歌とは絶縁していない。
 「伝統を継承したうえで、新機軸を打ち出すこと」が文化的貢献。

 "古歌のきよき調を次ぐごとく 昔の恋いにまた逢えるかな" 鉄幹