日本の古典 古代編 第4回 万葉集の世界(2)

四. 万葉集の世界(2)
1.長歌の展開 山上憶良
 散文の論理をそのまま歌に持ち込もうとした。
 例 「世間の住まり難きを哀しびたる歌」(せけんのとどまりがたきをかなしびるうた)
集め易く排し難し、八大辛苦。遂げ難く尽し易し、百年の賞楽。
 古人の歎きし所、今また及ぶ。所以因かれ一章の歌を作みて、
 以て二毛の歎きを撥のぞく。其の歌に曰く、
 世間《よのなか》の すべなきものは 年月は 流るるごとし
   取り続き 追ひ来るものは 百種《ももくさ》に 迫め寄り来たる
   娘子をとめらが 娘子さびすと 唐玉を 手本に巻かし
   白妙の 袖振り交はし 紅の 赤裳裾引き
   よち子らと 手携はりて 遊びけむ 時の盛りを
   留みかね 過ぐしやりつれ 蜷みなの腸わた か黒き髪に
   いつの間か 霜の降りけむ 丹にの秀ほなす 面おもての上に
   いづくゆか 皺か来たりし ますらをの 男さびすと
   剣太刀 腰に取り佩き さつ弓を 手た握り持ちて
   赤駒に 倭文鞍しつくらうち置き 這ひ乗りて 遊び歩きし
   世間や 常にありける 娘子らが 閉鳴さなす板戸を
   押し開き い辿り寄りて 真玉手の 玉手さし交へ
   さ寝し夜の いくだもあらねば 手束杖たつかづえ 腰に束たがねて
   か行けば 人に厭はえ かく行けば 人に憎まえ
   老よし男は かくのみならし 玉きはる 命惜しけど 為むすべもなし

現代語訳
  世の中かせ常任不変でないことを悲しんだ歌
   集まりやすく払いがたいものは八大辛苦であり、全うしがたくすぐに尽きてしまうのが人生の楽しみである。古人の嘆いたところであり、その嘆きは今もまたここに及ぶ。そこで一遍の歌を作って、老いの嘆き輪払う。世の中のすべないことは、年月は流れるようら去り、次々に後から追いかけて来る悲しみは、あれこれ姿を変えて責めよせて来ることだ。娘子達が娘らしいままに、美しい舶来の玉を腕に捲きつけ、白栲の著物の袖を互に振りながら、紅で染めた、赤い袴の裾を曳き、おない年位の娘等と、手をつなぎ合うて、遊んで居た若い頂上の時代を、引き止めておくことが出來ないので、取り逃してしまったために、蜷の腸のように眞黒な髪にはいつの間に霜が降つたのか、眞赤な顔の上に、どこから皺が出て來たのか知らない。りっぱな男子が、男らしいことをしようとして、刀をば腰に帯び、狩りの弓を手に握って持ち、赤毛の馬に倭文の布の泥障を置いて、それに這ひ上つて乘つて、あちらこちらと遊び廻つた、其時代が、何時迄も変わらずにあったらうか。娘たちが寝ておいでの部屋の板戸を押し開けて、さぐり寄つて、玉の樣な美しい手をさし交し、寢た晩がどれほどみないものを、いつのまにか、杖を腰のあたりで萎ふ程によりかゝつて、あちらへ行けば、人に嫌はれ、こちらへゆけば、人に憎まれたりするといふ風で、年老いた男とはこうした定めでしかないらしい。 たまきはる命は惜しいけれども、老いの苦しみは何ともしょうがない。

 この歌の根底には仏教思想の説く無常観がある。
  老いの苦しみを述べるなど否定的な内容をテーマとすることは これまでの和歌では
  なかった。 長歌の可能性を拡大した。
  その例。 「貧窮問答歌」 5-892
 “風交り雨降る夜の、雨交り雪ふる夜は、すべもなく寒くしあれば、堅塩《カタシホ》をとりつつづしろひ、糟湯酒うちすすろひて、しはぶかひ、鼻びしびしに、しかとあらぬ髯かき撫でゝ、我をおきて人はあらじと誇ろへど、寒くしあれば、麻衾引き被《カヾ》ふり、布肩ぎぬありのこと著そへども寒き夜すらを、我よりも貧しき人の、父母は飢え寒からむ。妻子《メコ》どもは乞ひて泣くらむ。この時はいかにしつつか、汝《ナ》が世は渡る。…”
現代語訳
 「風交りに雨の降る夜で、そして又其雨に雪が交って降って來る晩は、實に、遣る瀬がないほど寒いので、固めた鹽をつゝいては食ひ、つゝいては食ひ、酒の糟を溶いた湯を、啜って、咳をし、くさめを間斷なくして、しつかりとも生えて居ぬ鬚をば撫でながら、自分をさし措いては、偉い人間はあるまいといふ風に、自慢をしてはゐるけれど、それでもやはり寒いことは寒いので、麻布團を引き被り、布の袖なしを、ありたけ重ね著しても、こんなに迄寒い晩だのに、自分より貧乏な人の親達は、腹がへつて寒くあらう。女房兒は、物を食べさせてくれというて、せがんで泣いているであらう。斯ういふ時には、どうして、あなたは世を渡っているのか。」
  生活実感をリアルに歌っている社会は歌人、生活歌人と言われている。

2.長歌の展開
  高橋虫麻呂  語りの手法を用いている。
  例 「勝鹿の真間娘子を詠める歌」 9-1807
“鳥が鳴く東の國に古にありける辭《コト》と、今迄に絶えず言ひ來《ク》る、葛飾《カツシカノ》眞間手兒名《ママノテコナ》が、麻衣《アサギヌ》に青衿《アヲエリ》つけ、濃青《ヒタサヲ》を裳《モ》には織り著て、髪だにも掻きは梳《ケヅ》らず、沓《クツ》をだにはかず行けども、錦綾《ニシキアヤ》の中に包めるいはひ子も、妹に如《シ》かめや。望月のたゝへる面《オモ》わに花の如《ゴト》笑《ヱ》みて立てれば、夏蟲の火に入るが如、水門《ミナト》入りに船漕ぐ如く、よりかぐれ人の言ふ時、幾何《イクバク》も生けらぬものを、何すとか身をたな知りて、波の音《ト》の騷ぐ水門《ミナト》の奥つ城に、妹がこやせる、遠き世にありける辭《コト》を、昨日しも見けむが如《ゴト》も、思ほゆるかも “
現代語訳
 葛飾の真間娘子を詠んだ歌
 「鶏が鳴く東の國に昔あつた物語りだと今迄も始終言ひ傳へて來てゐる、あの葛飾の眞間の手兒名が、麻の著物に青い襟をつけた著物を着て、眞青な布を上裳に織つて著て、髪さへも櫛の目を入れず、又履物さへもはきもしないで出歩いてゐたが、其でも錦や綾の布の中に包まれてる大事に育てられた良家の娘達も、手兒名、どうして及ぼうか。滿月の樣に満ち足りた顔をして、花の樣に微笑んで門口に立つていると、まるで夏の虫が火に飛び込む樣に、川口へ這入るのに澤山の船が漕ぎ連れて來る樣に、諸方から男が集まってきて言い寄る時に、手兒名は、人間と云ふ者は、何時迄も生きていられないのに、人の騷ぐのは何の役に立たうか、と自分の身の事をよくわきまへ知つて、波の音が騷しう響いてゐる川口の港の墓所に手兒名は臥している。此事は、今からずつと以前の時代にあつた事なのに、ほんの昨日見たかのように、思はれてならないことだ。
 
 助動詞「けり」が使われている。叙事しようとする姿勢がはっきりと表現されている。
 長歌の可能性を極限まで追求しようとした。 しかしこれ以降長歌は衰退していく。

3.短歌の展開

   短歌 = 景 + 心 は
奇物陳思歌(きぶつちんしんか) 物に寄せて思いを陳ぶる歌
他に 
正述心緒歌(せいじゅつしんしょか)  正<ただ>に心緒を述ぶる歌
 もある。
   正述心緒歌 の例
     “我が背子が朝明の姿よく見ずて 今日の間を戀ひ暮すかも “ 12-2841
現代語訳
     「いとしい人が夜明けに帰って行く姿を、よく見ないで今日の一日を
      恋い暮らすことよ。」
     
   短歌の本質は 「奇物陳思歌」
序歌様式 
比喩的な景物を二句以上展開させ、これを序詞とし下句の心情の
比喩とする表現方法。

心物対応構造  心情表現に同類性が著しく高く、物象表現に
        その歌の固有の表現が現れている。

例 
・ されば雁飛び越ゆる龍田山 立ちても居ても君をしぞ思ふ 10-2294
・ 青柳葛城山に立つ雲の 立ちても坐《ヰ》ても妹をしぞ思ふ 11-2453
・ 遠つ人獵路《カリヂノ》池に棲む鳥の 立ちても居ても君をしぞ思ふ 11-3089

現代語訳
      「秋になると雁が飛び越えるという龍田山ではないが、その名のように立って
      いても座っていてもあなたのことをこそ思う。」
  
   「春の柳を蔓にする蔓城山《かずらきやま》に立つ雲ではないが、その
     名のように立っていても座っていてもあなたのことをこそ思う。」
  
   「遠い人のように遠くからやってくる雁−猟道に池に棲む鳥ではないが、その
   ように立っていても座っていてもあなたのことをこそ思う。」

  心情表現に同類性をもつ原因は、それほど表現が発達していなかったため。
    心情語 は60から70語程度と推測される。

 物象表現の個性化
 例 
“うらうらに照れる春日に雲雀あがり情悲しも独りし思へば” 19-4292
現代語訳
 「うららかに照らすこの春の日差しの中、雲雀が真一文字に上がって
  いく。悲しい心持がすることだ。 たった一人物を思うと。」
  大友家持 の傑作。
    景に背くような心を歌うようなものが現れてきた。
 
詠物歌  
心情を介することなく物象を直接の表現対象として歌う歌
  心情は、物象の背後に隠されている。 全体が比喩となって心象を
  形作っている。
  例
 “うち靡く春立ちぬらし 我が門の柳の梢《ウレ》に鶯鳴きつ”  10-1819
現代語訳
 物みな季節の霊威に靡く春になったらしい。わが家の門にある柳の枝先で
 鶯が鳴いた。

 以降、短歌は心の表現にふさわしい表現を求めて多様な表現を模索していく。

                               以上