三.万葉集の世界 (1)
一.歌謡からから和歌へ
  片歌問答 神の言葉 (謎) + その解釈(解答)
  ↓
   和歌  景 + 心 比喩的表現

  片歌問答 の発展形が 
「旋頭歌」 五・七・七・五・七・七
           前句   後句
   付けあいに似た興味がある。
 旋頭歌の例
住吉の出見の浜の柴な刈りそね 
娘子らが赤裳の裾の濡れて行かむ見む
                         七・一二七四
 訳
「住吉の出見の浜の柴をあまり刈らないでくれ。都の女官たちが浜辺で戯れて
赤裳の裾が濡れて行くのを隠れて覗き見る柴なんだから」

はしたての倉橋川の石の橋はも 
男盛りに我が渡りてし石の橋はも 
                         
七・一二八三


「倉橋川の飛び石の橋はどうなったろう。私が若い盛りの頃時に私が渡って通った飛び石
の橋よ。」

前句に提示された嘱目の景や事物は、後句の心情に即した説明や解釈に対する比喩と
なっている。 前句と後句とは対等。
 しかし短歌は、五七+五七七 後句の量が多いことから比喩の表現を深め、下句の
歌い手の心情をより鮮明に描き出せる。


 苗代の小水葱が花を衣に摺り なるるまにまに 何か愛しけ 
                      十四・三五七六

 「苗代をとった後に咲くコナギの花を摺り染めにした衣が着慣れるにつれて
萎えるように、あの子は慣れ睦むにつれてなぜこんなにもいとおしいのか」

  摺り染めの作業の摺り、そして衣が絡み合う共寝する男女の姿態に
  結び合わさせていて恋人の姿を効果的に表現している。
 
  景を比喩として心に修練するようなあり方を強めてゆく。
 
  短歌は自己の心情を表現する「叙事詩」となっていった。

香具山に雲居たなびきおほほしく 相見し子らを後恋ひむかも
                        十一・二四四九
 訳
 「雲がたなびく香具山はおぼろあの朧な山のようにぼんやりと出会ったあの子を
後になったこれからも恋するのでしょうか」

 君が着る御笠の山に居る雲の 立てば継がるる 恋もするかも
                             十一・二六七五 

  「あなたがつける御笠、その三笠の山にかかる雲のように、涌きたってはまた次々と
続く恋をすことであるよ」

路の辺の壹師の花のいちしろく 人皆知りぬ 我が恋妻は
                             十一・二四八〇
 訳
  「道の傍らに咲くいちしの花のようにはっきりと人は皆知ってしまったことだ。
私の恋する妻のことを。」
 壹師の花 →彼岸花のこと。赤い色。「色に出づ」の色は赤。

落ちたぎつ片貝川の絶えぬごと 今見る人も やまず通はむ 
                      十七・四〇〇五

 「流れ落ちては激する片貝川の流れが絶えないように、今この美しい
  立山の景色を見る人も止むことなく逢おう」
 
 上の四つの歌は、上句は下句の比喩となっており、叙情誌としての
 あの方が鮮明である。

二 長歌謡と長歌

  額田王
  味酒(うまさけ) 三輪の山 あをによし 奈良の山の 山の際に 
い隠(かく)るまで 道の隈(くま) い積(つ)もるまでに 
つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見放けむ山を 
情(こころ)なく 雲の 隠さふべしや


「味酒の三輪の山よ。 青土の美しい奈良の山々の間に
 隠れてしまうまで何度でも 道の曲がり角ごとにしみじみと 
振り返って見てゆこうと思っているこの山を 
心なく雲が隠してよいものだろうか」

この歌は叙事にあり比喩的な表現は見られない。

み吉野の 御金が岳に  間なくぞ 雨は降るといふ
時じくぞ  雪は降るといふ  その雨の 間なきがごと
その雪の  時じきがごと  間もおちず  我れはぞ恋ふる
妹が直香に
               じ      十三・三二九三


 「吉野の金峯山に、小やみなく雨が降るという。時節を問わず雪は降るという。
その雨が絶え間ないように、その雪が時節を問わないように、間を置くことなく
私は恋うている。あの人の魅力ある姿に。」
   
 これは比喩的な長歌。 しかしこのような表現はしだいに姿を消してゆく。
 景色の描写を拡大していくいがい方法がないため、限界が生じ、歌のあり方にも
規制される。

三 柿本人麻呂の達成
  長歌の基本は叙事であるが比喩的表現をたくみに取り入れて融合をはかり
  長歌の様式を完成させた。 「歌の聖」と呼ばれた。
 
 飛ぶ鳥の 明日香の川の 上つ瀬に 生ふる玉藻は 下つ瀬に 流れ触らばふ
玉藻なす か寄りかく寄り 靡かひし 嬬の命の たたなづく 柔肌すらを
剣太刀 身に添へ寝ねば ぬばたまの 夜床も荒るらむ [一云 荒れなむ]
そこ故に 慰めかねて けだしくも 逢ふやと思ひて [一云 君も逢ふやと]
玉垂の 越智の大野の 朝露に 玉藻はひづち 夕霧に 衣は濡れて 草枕
旅寝かもする 逢はぬ君故


 明日香川の川上の瀬に生えている玉藻は、川下の瀬に流れ触れあうが。
その玉藻のように寄り添い、囁きあった妻の命の重ね合った柔肌さえも、
あなたは剣や太刀のように身に添えて寝てはいないので、さぞや夜の床も
荒れすさんでいることであろう。そう思うと、どうにも心を慰めかねて、
もしや夫(せ)の君にひょっこり逢えもしようかと、、越智の荒野の朝露に
裳裾を泥まみれにし、夕霧に衣を湿らせながら、草を枕の旅寝をなさって
おられることか。逢えないあなたゆえに。
背景
 天智天皇の子川島皇子が他界した時の歌。泊瀬部皇女はその妻であった
と察せられ、忍壁皇子は皇女の同母兄であったので、人麻呂はこの二人に
慰みの歌を献じたものと考えられる。

文学上の特徴
 叙事を基本としながらも、比喩を重ねた表現を部分的に混在させている。

 しかし叙事的な長歌が散文に取ってかわられると長歌は消滅の道をたどる。
 柿本人麻呂は短歌もすぐれた作品がある。
 例
 あしびきの 山川の瀬の鳴るなべに 弓月が岳に 雲立ち渡る

  言靈の八十の衢に夕占とふ 占まさに告《ノ》れる 妹は寄らむ
 
 現代語訳
  山川の瀬音が高くなるとともに 弓月が岳に雲が立ち渡っている。

  言葉の霊威があふれる八十の巷で夕占を問い尋ねた。占いは告げた。
  あの子はお前になびき寄るだろうと
解説
   夕方は、人間と人間ならざるもりとが触れあうことができる
   神秘な時間。その時間に占いが出でいる。
   今でも近鉄沿線瓢箪山神社ではその占いをやっている。

        以上