日本の古典 古代編 第2回 フルコトの世界 −古事記 --

第二回 フルコトの世界 −−古事記とその周辺 −−
一.フルコトとは
古事記→訓読みをすると「ふることのき 」
共同体の語りの場で伝えられてきた聖なる詞章
古代の叙事文学はフルコトを基本にして成立した
定義 藤井貞和氏の定義
 何らかの固定的傾向をもつ、権威あるそして古くから伝えられてきたとされる
詞章
呪力ある神聖な言葉 として伝えられてきた。
例 そこついはね      ちぎたかし
 日本書紀の神武紀 「底磐之根に宮柱太立て、高天原に搏風峻峙りて」の部分
意味 大地の岩盤に宮柱を太々と立て、高天原に千木を高々とあげと・・
    注:搏風→神社の屋根のチギのこと。
  同じ言い回し
  例2.出雲国造神 例3、古事記の神代記

なぜこのフルコトが繰り返し現れるか?
神の宮居をほめたたえること。天皇即位の賛歌。
宮ほめの場

 二 国引きの詞章
出雲風土記 意宇郡の章 国引きの詞章 
農民や漁民の生産活動に密着した表現。四回も出てくる。ことから
古い共同体の伝承から来ている。
原文
     「童女 胸鉏 所レ取 而、大魚之 支太 衝別而、波多須〃支 穂 振別而、
      三身之 綱 打挂而、霜黒葛「〃耶〃」爾、河船之「毛〃曽〃呂〃」爾、
「國〃来〃」引来、縫 國 者
 三 フルコトとしての「古事記
成立過程の推測
 稗田阿礼の「誦習」ヨミナラウ 何かテキストを見て口誦する
  → 太安万侶 オオノヤスマロ が「選録した。
   この作業は困難だった。結局、音訓を交用する独特の表記となった。
 このときに、フルコトは音を表す漢字でそのまま形で保存された。
文字は仮のものであり、伝承の真実は本来口誦の中でしか残りえないとの意識が強くあったため。
四 倭建命(ヤマトタケルノミコト)の物語
古事記 中巻 景行天皇
 故、爾くして御合して、其の御刀(みはかし)の草那藝(くさなぎ)の劍(たち)を以ちて、其の美夜受比賣の許に置きて、伊服岐能山(いふきのやま)のを取りに幸行しき。

 是に詔らさく、「茲(こ)の山のは、徒手(むなで)に直(ただ)に取らん」。 其の山に騰(のぼ)りし時に、白き猪(い)、山の邊に逢いき。 其の大きさ牛の如し。 爾くして言擧(ことあげ)爲して詔らさく、「是の白き猪と化れるは、其のの使ぞ。今殺さずと雖ども、還らん時に將に殺さん」と、騰り坐しき。 是に大氷雨(おおひさめ)を零(ふら)して、倭建の命を【此の白き猪に化れるは、其のの使には非ず、其のの正身(ただみ)に當りしを言擧(ことあげ)に因りて惑わさるるなり】打ち惑わしき。 故、還り下り坐して、玉倉部の清泉に到り以って息(いこ)い坐しし時に、御心稍(ようや)く寤(さ)めき。 故、其の清泉を號(なづ)けて居寤(いさめ)の清泉と謂うなり。 其の處より發たして、當藝野(たぎの)の上に到りし時に詔らさく、「吾が心、恆(つね)に虚(そら)より翔(か)けり行かんと念(おも)う。然れども、今、吾が足は歩むを得ずして、當(た)藝(ぎ)當(た)藝(ぎ)斯(し)玖(く)【當より下の六字は音を以ちてす】成りぬ」。 故、其の地を號けて當藝(たぎ)と謂うなり。 其の地より差(やや)少し幸行して、甚だ疲れたるに因りて御杖を衝きて稍(ようや)く歩みき。 故、其の地を號けて杖衝坂(つえつきざか)と謂うなり。 尾津(おつ)の前(さき)の一つ松の許に到り坐すに、先に御食(みおし)せし時に其の地に忘れし御刀、失せずして猶(なお)有り。 爾くして御歌に曰く、
  尾張に 直に向かへる 尾津の前なる 一つ松 あせを
  一つ松 人にありせば 大刀佩けましを 衣着せましを
  一つ松 あせを
 解説   
これは下線の箇所の言挙げの内容が違っていた。イノシシは神の使いではなく、
 神そのものであった。このため神の祟りを受けて衰弱した。
言挙げの内容 が違うと、本来神が守ってくれるか言葉が反対に祟りを呼んだという話となっている。また草なぎの刀を置いていったことも原因となっている。