日本文化概論 レポート 新潟県立大学講義

テーマ 「日本文化と自然観」
              ------- 日本文化の多様性を世界に ---------

 グローバル時代のまっただ中にあって、日本という国の立場や日本人の考え方について世界の関心が高まっている今日、日本文化について学ぶことができたことは大変有意義であった。
 この学びの中で一番関心のあった事は、なぜ現代の日本人の生活や考え方が成り立ってきたのかを講義を通じて把握できたら良いと考えたからでありこの目的はおぼろげながら達成できたと思う。 
今回は自然と日本人の関わりから見えてきたものについて焦点をしぼって考察することとする。
まず文化という定義は講義であったように「自然に人間が手を加えて創りだしたもの」といえる。 ではこの文化を創るにあたって、日本人は自然に対してどう向き合ってきたかということが先にある。結果だけいうと日本人は古代から自然は克服するものだというヨーロッパ文明とは違う思想を持っていたということである。
島国であり照葉樹林帯と落葉樹林帯とが交じり合い、縄文時代からの焼畑農業と稲作そして北方民族や海洋民族との混合もあるという複雑で多重的な構造を持っていることから一言では捕らえることができない重層的な構造があちこちら交じり合って現れているという理解をした。 自然を克服するのはなく自然からの恵みに感謝し自然を敬い超越的なものが宿る場として尊重してきた基層は今日でもあると思う。 自然崇拝的な宗教は古代から世界各地であり、今も現代文明にさらされていない南米の一部の地域や原住民といわれる民族には共通していることではある。しかし、キリスト教的価値観とイスラム信仰の広がる現代において、文明国でありながら今なおこの考え方を基層に持ち続けている民族は稀有な存在と思う。
 このことは季節による自然の移り変わりに敏感な民族となり、和歌や物語そして芸能にも大きく影響し、音楽の形を西洋的な響きとは別の形態として発展させてきたと考える。 しかもこのことは私たちの現代の日常の暮らしにも面々と引き継がれており、今回は取り上げなかった料理の分野でも色濃く残っている。
 高級日本料理の原点はどこかというばそれは「茶の湯」にある。茶の湯の懐石料理が途中の変遷と付けたしはあるにしても季節にふさわしい食材や調理方法そして食器との取り合わせ二度と同じ料理を同一人には出さないなど「茶の湯」の席のもてなす心と共通する意識で饗されているのである。
季節の移ろいに敏感なことは、万葉集からはじまる各種の歌集、そして今日にも愛好者が多い俳句にもある。 これらは季節を特定する言葉や、季語という季節の共通認識の語句で自然を共有していることでも分かるし人々の思想にも大きく影響を与えている。 本居宣長は「もののあわれ」ということを歌論をなかで分析してみせた。「わび、さび」「幽玄」「さよ」などの意味は現代ではなかなか説明が難しいが自然を観察し自然と一体となった心地よさを表現する言葉として日本人が自然への注意深い観察から生まれた言葉であると考える。 しかもその自然観は自然に超越的なものを感じるとともに個人の心情を自然に映して表現しその心境を共感をもって推察するという思考を生んだ。
 ところでそれとは対象に六世紀からの金箔が貼られた仏像や桃山期の豪華な絵画や派手な装飾、江戸期の浮世絵や歌舞伎の奇抜な衣装や化粧など、そして驚くのは現代の祭りにおいてのきらびやかな山車や衣装、青森の「ねぷた」に代表される豪華な屋台など「わび、さび」とは正反対と思われる文化も存在し
続けているという事実である。 岡本太郎は縄文的表現の価値を見出したが、海という広大なかなたに浄土があるという補陀落信仰やニライカナイという沖縄の祖霊信仰を生んだのも海洋に囲まれた島という自然の特質であろう。 外国人が日本の観光にきた時に日本を理解するために「日本的なものの典型として石庭や茶室など見せ、高級日本料理を食べさせる」としたら、これは日本のほんの一面しか見せていないのであって、金閣寺や平泉の中尊寺金色堂、そして高知の豪華な皿鉢料理など従来とは違う日本を知ってもらう工夫をやってみることも日本文化を世界に知らしめるうえでは重要なことと感じる。
 グローバルリズムが浸透する世界において文明国でこれだけ多様な文化を持ち、基層には自然崇拝や祖霊信仰という長い時代を経ても変わらない心情など日本文化の特質をもっと自信をもって世界にアピールするべきと思う。 このためにも今回の講義は概論であったのでぜひ「日本文化の特質その一、その二」と深堀りした講義を年間で企画していただくことを期待いたします。ありがとうございました。