社会の中の芸術 第10回 カラヴァッジョ
第10回 カラヴァッジョ
本名: ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ (1571年9月28日 - 1610年7月18日) バロック期のイタリア人画家
存命中のカラヴァッジョはその素行から悪名高かったが、作品の評価は高かった人物だったが、 その名前と作品はカラヴァッジョの死後まもなく忘れ去られてしまった。 しかし20世紀になってからカラヴァッジョが西洋絵画に果たした大きな役割が再評価され ることになった。 写実主義の先駆者で伝統に反逆した近代芸術家として再評価を受ける。 教会から死刑の宣告を受けていたが、むしろカトリック改革の精神をよく理解し、完全に 表現した画家。 芸術の評価は、時代の美意識により歴史観に左右される。
1.宗教画の革新
「聖マタイの召命」
サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会コンタレッリ礼拝堂 (ローマ) マタイ回心の緊迫した情景を明暗の濃い、劇的な光線を描いた有名な絵となって若い 画家達に大変な評判となった。
�「聖パウロの回心」
サンタ・マリア・デル・ポポロ教会チェラージ礼拝堂(ローマ)
現地で見るとわずかさしこむ光を効果的に導入した明暗やこれまでの
天使などを描かない大胆な馬とパウロの構図など革新的な作品。
2.カラヴァッジョ様式の波紋
教会の受取拒否にあった作品達
「聖マタイと天使」
カイザー・フリードリヒ美術館にあったが焼失した当初の作品
サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会コンタレッリ礼拝堂(ローマ)
「聖母の死」
当初に書かれた作品 ルーブル美術館
カルロ・サラチェーニに発注しなおされた作品
サンタ・マリア・デラ・スカラ聖堂
「蛇の聖母」 ポルケーゼ美術館 ローマ
「ロレートの聖母」 サンタゴスティーノ教会 ローマ
(2)カラヴァッジョ様式の影響
<カラヴァッジェスキ>
イタリアやヨーロッパでカラヴァッジョの画風を模写や模倣された事
宗教画以外に風俗画にも広がった。
スペイン
17世紀スペイン美術の黄金時代の契機となった。
・ベラスケス 「バッカスの勝利」 プラド美術館
・スルバラン 「幼児洗礼者ヨハネのいる聖母子像」
・ジョゼッペ・デ・リベラ 「ピエタ」(サンマルティーノ修道院 ナポリ )
オランダ
ヘリネット・フォン・ホント・ホルスト 「洗礼者ヨハネの首」
(サンタ・マリア・デラコンチェッオーネ礼拝堂 ローマ )
レンブラント 「夜警」
フェルメール 「牛乳を注ぐ女」
フランス
・シモン・ヴーエ イタリア帰国後、ルイ13世紀の宮廷画家となる。
・ジョルジェ・ド・ラ・トゥール 「大工の聖ヨセフ」 ルーブル美術館
こうしてカラヴァッジョ様式は17世紀のヨーロッパバロック美術の土台となった。
研究課題 と答え
1 カラヴァッジョの評価はなぜ移り変わったか
A.生前のカラヴァッジョの作品は当時のカトリック改革の思想に合致したため
に高位聖職者や有力貴族に歓迎された。その後古典的で理想的な様式である
ボローニャ派が台頭してくると、カラヴァッジョの写実主義は粗野な自然に
従った悪しき様式として否定されるようになった。
しかし19世紀になってカラヴァッジョは再評価される。写実主義の先駆者で
あると同時に伝統に反逆した近代芸術家とイメージが定着した。
2 カラヴァッジョ作品に見られる聖書解釈の特色はなにか
A 伝統的な聖書の場面を、日常の世界の中の瞬間に神の御業を見るという
場面として描き、神や奇跡の存在を信じられなくなった現代人にも納得
のいく解釈となっている点。
3 カラヴァッジョ作品が拒否されたり模倣されたりしたのはなぜか
A 発注したにもかかわらず受取を拒否された作品はキリストやマリア
の描き方がこれまでの伝統的な表現と異なり現実の景色のようにリアルに
表現されていたため神への冒涜だと受取を拒否された。
しかし、その作品はコレクターにただちに買い取られたことからその
芸術性は愛好されていた。 この様式を風俗画にも取り入れねなどの模倣
が広くヨーロッパに広がった。 この理由はデッサン力が劣っていても
明暗の強い効果によって情景を劇的に仕立てることができたため、後ろ盾
のない若い画家や外国人に広く好まれた。