放送大学 舞台芸術への招待 第10回 日本の伝統演劇

10.日本の伝統演劇 ー能、到来するものの劇

能の始まり 鎌倉時代 猿楽 能と狂言を含む。 観阿弥その子世阿弥
650年経過しているが、形も変わることなく現代まで伝えられてきた。
謡本や衣装などすべて受け継がれた。
演劇はもともと宗教儀礼を起源。神との霊的交流。

能は、自立した演劇として、内容と洗練された様式とを保持しつつ
起源の想像力の形を失うことなく、劇構造の内部に保存し続けた。

2.儀礼から演劇へ
⑴芸能者の専業化
猿楽の座
⑵ 猿楽の都市芸能への成長
世阿弥の登場。
演劇とは
人間を超える何者かが、わたしたち観客へ到来して、
生命の摂理や人間の運命を語った後、再び去ってゆく
場所であり、装置である。
3.能舞台とは
能舞台は情景を持っている。
西洋の近世、近代演劇は、プロセニアム式額縁舞台が基本。
       情景がない。動く絵画。
能舞台
屋台の形を表し、場所全体を1つの情景として示す。
舞台装置が組まれることは稀。2または3方向から見られることを
        想定している。
観客は出来事の能動的な立会人となる。

4.到来の劇と橋掛り。
能舞台の構造図。

鏡板-----背景ではない。樹木崇拝の影響で自然の神がそこを通って現れる
ことを示しているという説もある。
橋掛り
シテの役者が登場、退場する通路。舞台の一部ではあるが通路。
到来の劇を実現させている重大な演劇の論理が隠されている。
西洋の劇 ではそれが隠蔽され忘れ去られた。
能は、到来の直感を失っていない。
プロセニアム式舞台モデルと能舞台の比較図。

シテの登場に時間をかけ、意識の拡大がおこり、
本舞台に別の世界が流入し、境界的な空間となる。

5. 能面について

シテ 能面を懸ける。 素顔の曲もある。
ワキ 直面。素顔のまま。
能面は、変身の問題につながっている。

6.複式夢幻能を読む。
複式夢幻能と登場する役者の時間構成。 図で説明。

" 夢幻能" とは
『旅の僧が一夜を過ごす夢うつつに、死者や精霊が来訪して
過ぎた日の身の上を語り、念仏回向を依頼して舞を舞って
去ってゆく。
作品例 『井筒』
伊勢物語第23話 が素材。
井筒のビデオをダイジェストで鑑賞。
この劇が私達のこころを打つ理由。
いつまでも男を待ちつずける女の可憐さと、疑うことを
知らないひたむきな心。

救済を求めないということでも。珍しい存在の能。
女の思慕は常に幼年時代を経由している。
井戸は二人で顔を寄せ合って水面に映る姿を飽きずに眺めた
記憶の回帰の場としている。

7.人間劇としての変身
『井筒』には能面の機能としての変身はあったか。
ない、
この能面は抽象化された顔。私達が変身した顔。
私達が、役者に感情移入した結果、変身した顔。

ヨーロッパの人格の変遷。図あり。

孤独な個の自覚が、日本の中世でも人々の心を捉えていた。
孤独で取り替えの効かない存在のとしての個人の問題が現代でもある限り、
能は現代の演劇として生きてゆくことができる。
( ここは、よく理解できない。。。。)