六 古代漢文学の形成と展開 1.はじめに
  なぜ漢詩を作ったか?
  律令制の導入と同時に中国的な文化国家としたいとの願望。
   中国では政治家は、詩を詠めるような文人でなければならないという
   伝統があった。 科挙の試験に詩を作る試験があった。
  最古の漢詩集「懐風藻」 751年、 編者 不明。
   序文 建国草草の頃は人文未だ作らず。その後渡来人の指導で学問が興ってきた
      天智天皇の頃から創作が盛んになってきた。
     大化の改新後、近江の大津に遷都した。
       天子が暇多く天皇自ら漢詩文を作った。(儒教の理想)
文化とは? 武力や刑罰を用いず文によって人民を教化するという意味。
       文とは礼、制度、文芸などの総称。
    漢文学の理念的基礎 「風を調へ俗を化するは、文よりほかはなく」
 2.懐風藻について
   7世紀から8世紀の半ばまで時代順に配列編集されている。
    奈良時代の前期藤原京と後期平城京まで。
  主な作者 長屋王 天武天皇の皇子。 謀反の罪で自害させられる。 
藤原不比等、その子供の藤原四兄弟。武智麻呂、房前、宇合、麻呂
  この4人は天然痘で死ぬ。 長屋王の呪いと噂される。
  .風月と琴を愛する超俗的な文人精神  藤原麻呂
    「五言。春日侍宴。応詔。一首」
     詩序の現代語訳 要旨。
    「自分は、反俗的な風雅に徹して生きる風狂の徒である。
     もっぱら風月の感動で心を満たし、魚鳥を眺めることを楽しみとしている。
     中略----ただ酒を飲み歌い、春の良い季節が暮れていくの楽しんでいる。」
    原文
     僕聖代之狂生耳。直以風月為情。魚鳥為翫。貪名狥利。未適冲襟。
対酒当歌〔イ育真会文〕。是諧私願。乗良節之已暮。尋昆弟之芳筵。
一曲一盃。尽歓情於此地。或吟或詠。縦逸気於高天。千歳之間。
嵆康我友。一酔之飲。伯倫吾師。不慮軒冕之栄身。徒知泉石之楽性。
於是。絃歌迭奏。蘭同欣。宇宙荒茫。烟霞蕩而満目。園池照灼。
桃李咲而成蹊。既而。日落庭清。樽傾人酔。陶然不知老之将至也。
夫登高能賦。即是丈夫之才。体物縁情。豈非今日之事。宜裁四韻。
各述所懐。云爾。
       城市元無好。林園賞有余。弾琴仲散地。下筆伯英書。
      天霽雲衣落。池明桃錦舒。寄言礼法士。知我有麤疎。
   現代語訳
     別途
   注
    嵆康 けいこう【嵆康 Jī Kāng】  AC 223‐262
中国,魏の老荘哲学者。詩人としても名声があった。字は叔夜。譙国(しようこく)銍(ちつ)(安徽省)の人。
友人阮籍(げんせき)と並んで,〈竹林の七賢〉の中心的な存在だった。司馬氏の簒奪があらわになって
きた魏末の世にあって,歯に衣(きぬ)着せぬ鋭い論調によって偽善的な風潮を敢然と批判した。
魏王室と姻戚関係にあったことも,彼を反司馬氏の動きに駆りたてた遠因と見られる。
その妥協を許さぬ批判精神は為政者の憎悪の的となり,ついに死刑に処せられた。・・・

    山水風月を愛する超俗的な精神が、平安朝文学の中にも流れている。

  3.平安初頭の嵯峨朝の漢文学
    桓武 平安遷都 → 嵯峨朝 809〜823  古代漢文学の頂点
勅撰漢詩文集の発刊 
・ 814年「凌雲集」、 818年「文華秀麗集」、 827年「経国集」 
     嵯峨天皇が詠み、臣下の詩人が奉和した。
     特徴 老荘思想や隠逸趣味的傾向が著しい。耽美主義的傾向もある。
    例 「魚歌五首」(経国集 巻十四、雑詠四)
江水渡頭柳乱糸。漁翁上船煙景遅。乗春興無厭時。求魚不得帯風吹。
     漁人不記歳時流。淹泊沿老棹舟。心自放。常狎鴎。桃花春水帯浪遊。
     青春林下度江橋。湖水翩飜入雲霄。煙波客釣舟遥。往来無定帯落潮。
現代語 意訳
     「やわらかく柳をそよがせる風に吹かれながら、ひねもす釣糸を垂れて
      飽きない。魚が釣れなくても一向に意に介さない。
      時の流れも名利も一切忘却して、爛漫と咲き匂う桃花を映す流れに
      舟を浮かべ。鷗たちと虚心に遊ぶ。 揺らめく湖水の広がりは、霞める
      かなたで雲天に連なり、遥かに小さく釣り船が浮かんでいる。
      漁夫には定まった航路があるわけではなく、何の目的もなく、ただ長江
      の潮の満ち干のままに往来している。」
      
漁翁の自由な境遇が、老荘的な虚無の象徴にもなっている。
臣下は有能な官僚 藤原冬嗣良岑安世、滋野貞主、小野岑守 
 朝廷の高官でも詩を詠む風が、中国の理想にように広まっていた時代

4.承和以後の漢文学
嵯峨天皇没後に漢文学は退潮してくる。
   白楽天 (白居易)の詩文集「白氏文集」が入っている。
   日本人好み。 自分の人生を機軸に据えながら、社会への批判的な眼差しを向け、
自身の生き方にも思索をめぐらしてゆく、幅広さ、叙情的な面に偏重されがた
ながらも、大陸的な風景を想像で
詠む世界から、日本の風土に即した花鳥風月や現実の人生や生活を
詠う詩へと大きな変化が生じた。
        
    菅原道真 の詩文 テキスト参照
     老荘的な自由な境地にはなれないと詠った。
    例
仕事のすきまの僅かな時間に山中に分け入って春の山歩きを
楽しんだがもう仕事に戻らなければならない。でも赴任以来
ずっと仕事ばかりしてきたので、ちょっと心が和んだと
     詠んでいる。  現代にも通じる心境である。
                          以上