日本文学概論 第六回 兼好と頓阿 散文と和歌の再構築

六、兼好と頓阿 散文と和歌の再構築
 一、文学再構築
定家 文学のシステムを作った 本歌取り小倉百人一首
頓阿 このシステムを補強・修正しながら「誰でも詠める和歌の詠み方」を創案   した。
兼好 「誰でも書ける散文の書き方」を創出した。

二、兼好の散文
徒然草の画期性 
① さまざまな話題や内容を転換しながら短いサイクルで書き連ねる文学形態を確  立した。
② 書かれている内容に応じて文体も漢文調,和文など多様である.。
③ 真摯なもの、ユーモラスなもの、哀感に満ちたものなど表現の幅が大きい。
 後世の人は簡潔でわかりやすい文章を書く方法を手に入れた。
例 佐藤直方 江戸時代前期
「しののめ」 徒然草の抜き書き。 
  人間の心を問題として章を中心に抜粋
脇蘭室 江戸時代後期
「歳蘭漫語」の「見し世の人の記」 

三、歌人・歌学者としての頓阿
 頓阿 俗名 二階堂貞宗  武士の出身
  二条為世を師匠として和歌を学ぶ。
  二条派が断絶したあと、頓阿の子孫が古今の伝統を受け継ぐ。
   頓阿----経賢-----堯尋------堯行 家系は和歌の家柄となる。
  頓阿の歌学
   歌論書 「井蛙抄」、「愚問賢注」
   和歌集 「草庵集」「続草庵集」
    山里は訪はれし庭も跡絶えて 散り敷く花に春風ぞ吹く
    秋の夜は誰待ち恋ひて 大伴の御津の泊りに衣擣つらん
朽ち残る蘆間の小舟いつまでか 障るに託つ契りなりなん
今は世に亡しとも聞かば思い知れ これを限りに恨みけりとは
思へただ常なき風に誘われし 嘆きの下は言の葉も無し

草庵集の影響力
本居宣長 「草庵集玉箒」注釈書
「草庵和歌集類題」 類型性が必要だった。
近代和歌の自分の心情を詠むという流れでは忘れられた存在と
なっていった。

兼好と頓阿は、相互補完的存在として位置づけられる。
そして散文と和歌の普遍化が近世になって浸透して日本文学を
豊かで開かれたものにした。
以上